そんなわけで授業も終わり放課後。 重い足を引きずりながら、廊下の突き当たりの指導室に向かう。 |
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浩太 | 「あーあ……」 |
なに言われるんだろ。 長谷先生は僕らのクラスの副担任でもあるわけで、担任やら生徒指導の先生呼ばれて、あの本のこと追求されたら…… |
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浩太 | 「うー」 |
授業中にあんな本を読んでた自分が悪いのはわかってるんだけどさ。 ……我慢できなかった。 アレの回数も最近増えてるし。 僕って性欲他の人より強いんじゃないだろうか。 なんてことを考えてる間に、生徒指導室のドアの前に到着。 |
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浩太 | 「……失礼します」 |
そろそろとドアを開ける。 |
浩太 | 「あれ、まだ来てないや」 |
ドアを閉め、椅子に座る。 廊下からは放課後の喧噪がかすかに伝わってくる。 演劇部の発声練習や、ブラスバンド部の音。 |
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浩太 | 「ふぅ……」 |
ため息をついて不安を押し出そうとしたけど、胸のもやもやは晴れてくれない。 | |
浩太 | 「……まいったなぁ……」 |
よりによって智恵理先生にあの本見つかるなんて。 ……まあ、智恵理先生の授業だから読んでた、ってのもあるんだけど。 もちろん小説の女教師を智恵理先生にだぶらせて。 ―――しょうがないだろ、好きなんだから。 でも、いくら好きになったって生徒と先生じゃどうしようもない。 僕みたいな子供を、先生みたいな大人の女の人―――そりゃちょっとドンくさくて子供っぽいけど、やっぱり―――が相手にするわけないじゃないか。 せいぜいエロ小説でも読みながらオナニーするくらいが関の山だ。 |
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浩太 | 「あーあ」 |
机に突っ伏す。 すべすべした合板の感触が気持ちいい。 ……そういえば、智恵理先生にこの部屋に呼ばれるのは2回目だ。 最初は―――そう、二年に進級したばかりのころだった。 |
智恵理 | 「あの、ええと……こ、今年から先生になった、……皆さんの副担任の……あ、担当教科は社会科で……」 |
真っ赤になり、大汗をかきながら、しどろもどろに頭を下げる先生。 ……全然先生に見えない。 入学したての大学生みたいで、ちょっと子供っぽいくらい。 かわいいな、って、僕でも思った。 |
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智恵理 | 「それで、まだ皆さんと同じ一年生ですけど……」 |
茂昭 | 「せんせー、俺たち二年生なんだけど」 |
智恵理 | 「あ…… ……あの、あのっ!ごめんなさい!そうよね、みんなの方が先生より先輩なんだよね?」 |
茂昭 | 「なわけないって。学生が社会人より先輩のわけないじゃん」 |
……ちょっと意地悪くないか茂昭。悪気はないんだろうけど。 | |
智恵理 | 「あっ、ああっ!ごめんなさいっ!」 |
茂昭 | 「そんなあやまらんでも」 |
智恵理 | 「ごめんなさい、ごめんなさい!」 |
頭を下げ―――ごん、と教壇におでこをぶつける。 | |
智恵理 | 「いた……」 |
教室のあちこちでくすくす笑い。 どっちかってーと好意的だけど。 |
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智恵理 | 「それで、ええと……あの、至らない先生だけど、一生懸命頑張るから、みんなも、その……よろしくお願いします」 |
生徒たちが静まった。 おそるおそる、という感じで先生が教室を見渡す。 |
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智恵理 | 「あの……なにか変なこと言ったかな、先生……」 |
しらけた空気。 代表して口を開いたのはやっぱり茂昭だった。 |
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茂昭 | 「……先生、名前は?」 |
智恵理 | 「あ……」 |
―――これで先生の印象は決まっちゃった。 ドジ。 |
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智恵理 | 「ごっ、ごめんなさいっ!智恵理です!智恵理先生って……」 |
茂昭 | 「名字は?」 |
智恵理 | 「……長谷智恵理、です……」 |
教室大爆笑。 あ、先生泣きそう。 |
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茂昭 | 「どんくさい先生だなー、知恵ちゃん」 |
智恵理 | 「あの……」 |
何か言おうとするんだけど、笑い声と冷やかしの口笛にかき消されて聞こえない。 ……ハッキリしないと舐められるばっかりだと思うんだけどな。 |
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智恵理 | 「あの……」 |
生徒 | 「かわいいっ、智恵理ちゃーん!」 |
どこかのアイドルコンサートみたいな冷やかし。 | |
智恵理 | 「それで、担任の先生からの連絡事項が……」 |
生徒 | 「スリーサイズ教えてーっ!」 |
生徒 | 「カレシいるの?」 |
ちょっと調子に乗りすぎだろ。 | |
智恵理 | 「日直さん、プリントを配って……」 |
茂昭 | 「今日のパンツの色はー!?」 |
どこのオヤジだ茂昭。 | |
智恵理 | 「……うっ……」 |
大きな目に涙が浮かんだ。 | |
生徒 | 「もしかしてまだ処女!?」 |
ぽろっ、と頬に雫がこぼれた。 とっさに立ちがる。 |
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浩太 | 「長谷先生、今日の日直僕です。プリント配りますから渡してください」 |
嘘だった。 始業式終わったばっかりで、日直は決まってなかったから。 |
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智恵理 | 「ありがとう……」 |
消え入りそうな声で言い、先生は泣き笑いの顔になった。 僕は席を立ち、プリントを受け取ると、まだざわめいているクラスメイトたちを無視して配り始めた。 |
智恵理 | 「あの……ええと、そこの君……」 |
その日の帰り際だったと思う。 廊下で呼び止められて振り返ると、そこにはさっきのどんくさい先生がいた。 |
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智恵理 | 「ええと……」 |
なにが言いたいのか察して、先回りして答える。 | |
浩太 | 「恋川浩太です」 |
先生の顔がぱっと明るくなった。 | |
智恵理 | 「あ、恋川君ね。恋川君恋川君、と……」 |
嬉しそうに繰り返す顔が子供みたいで、かわいいな、と思った。 先生に対して思うことじゃない気もするけど。 |
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浩太 | 「なにか用でした?」 |
智恵理 | 「あ、うん。さっきのことなんだけど ええと、その……なんていうか……」 |
ぽやん、と赤面した感じで向かい合っていると、数人の生徒がすれ違いざま、変な顔で僕らを見ていった。 先生は気づいてさらに顔を赤くする。 |
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智恵理 | 「ちょ、ちょっとお話しできるとこ行こうか。指導室とか……」 |
言って歩き出す。 | |
浩太 | 「……先生」 |
智恵理 | 「はい?」 |
振り返った彼女に、僕は言った。 | |
浩太 | 「指導室、あっちです」 |
智恵理 | 「あ」 |
ぼっ、とさらに赤くなった先生は、混乱したのか僕の手をつかんで、指さした方向に引っ張っていった。 もちろん、その辺にいた生徒たちがみんな、変な目で僕らを見ていた。 |
ぱたん、とドアを閉めてからようやく、先生は僕の手をつかんでいることに気づいたらしい。 | |
智恵理 | 「あっ!ご、ごめんなさい」 |
熱い鍋にさわったような勢いで手を離す。 | |
浩太 | 「いいですけど……なんでしょ?」 |
もう一度用向きを訪ねると、先生は僕に座るよう促してから、向かい側に自分も腰掛けた。 | |
智恵理 | 「えと……さっきはありがとうね、及川君」 |
浩太 | 「恋川です」 |
智恵理 | 「ご、ごめんなさい!……私人の名前覚えるの苦手で……」 |
だいじょうぶかな、この人。 | |
智恵理 | 「……ありがとう、恋川君。助かりました」 |
頭を下げ――― | |
智恵理 | 「いたっ」 |
やっぱり机におでこをぶつける。 ……やるんじゃないかと思ったんだ。 |
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智恵理 | 「私、昔から人前でしゃべるの苦手なの。今日は最初の日だったし、緊張してパニックになっちゃった」 |
額をさすりながらぺろっ、と舌を出す。 | |
智恵理 | 「恋川君が助けてくれなかったら泣いちゃったかも」 |
泣いてたじゃん。 | |
智恵理 | 「あーあ、情けないなぁ。先生なのに……」 |
浩太 | 「あの、先生」 |
智恵理 | 「ん、なに?」 |
にこっ、と僕にほほえみかける。 なんだか幼いくらいの笑顔。 |
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浩太 | 「もうすこしハッキリしないとナメられるばっかりだと思いますけど」 |
智恵理 | 「そうよねー。最初だし、ピシッとしようとは思ってたんだけど……ダメだな、私」 |
ずるずると机に突っ伏す。 なんか先生と生徒って感じじゃなくて、友達同士のような雰囲気。 |
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浩太 | 「ダメって……」 |
ほんとはいいことじゃないんだろう。 先生も、こんなことしてたらいつまでも先生らしくなれないだろうと思う。思うけど…… なんとなく嬉しかった。 |
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浩太 | 「先生、僕で力になれることあったら、言ってくれれば」 |
先生は顔だけを上げ、無防備に笑った。 | |
智恵理 | 「ありがと。頼りにしちゃおうかな」 |
どくん。 心臓が胸の中ではねた。 |
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浩太 | 「あ……」 |
智恵理 | 「ふぅ。ほんとに情けない先生だね、私。生徒に心配してもらっちゃって」 |
浩太 | 「そ、そんなことないですよ。長谷先生なら、きっとちゃんとやれると……みんなだって冷やかしてたけど、いじめようとかいうんじゃなくて、あれは先生がかわいかったから……」 |
失言。 けど先生はちょっと照れたような顔をした。 |
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智恵理 | 「……大人のことからかっちゃダメよ」 |
浩太 | 「からかうなんて、そんな!僕は……」 |
先生は立ち上がった。 | |
智恵理 | 「ありがと。とにかく、お礼言いたかっただけだから」 |
浩太 | 「あ、はい……」 |
智恵理 | 「それじゃ、先生打ち合わせあるから……」 |
浩太 | 「はい」 |
指導室を出て行こうとして、先生は振り返った。 | |
智恵理 | 「本当にありがとうね。これからもよろしく、桶川君」 |
浩太 | 「……恋川です」 |
智恵理 | 「あ……また」 |
先生は自分で自分の頭を軽く叩いて出て行った。 指導室にはなんだか甘ったるい匂いが残っていて、胸が締め付けられるような気がした。 |